フセイン政権の崩壊後の中東by 高杉公望)

 

 サダム・フセイン独裁政権も、その旧式装備の親衛隊も、やっぱり脆かったようだ。これで、公然と反米テロに武器や資金を援助する疑いのある「国家」は地球上からなくなった。このことの中東テロリズムへの影響は決して小さなものではないと思う。

 

 1970年代の左翼パレスチナ・ゲリラは、ソ連の後押しなしにはあれだけの戦闘力をもつことはありえなかった。事実、ソ連のペレストロイカから東欧革命のあった1989年に、日本赤軍の重信房子氏は、路線転換のメッセージを発していたと記憶している。

 また、1979年のイラン・イスラム(反)革命以降、中東の反体制運動の主流は、シーア派原理主義国家の後押しによって、宗教極右的な無差別殺人のテロリズムの時代へと転換していった。

 

 むろん、イラクのフセイン政権が、さまざまな潮流のイスラム原理主義系テロ集団の後押しをしていたのかどうかは、いっこうに明らかではない。また、アラブの石油富豪の眷属の中にひそかに資金カンパをするものが絶えない限り、まだまだイスラム・テロリズムの戦闘力は持続するかもしれない。

 

 しかし、そうはいっても、軍事的国家の後押しというものがなくなったテロリスト集団というものは、しだいに、たとえば先進国内部の極左、極右の過激派程度の戦闘力しか発揮できなくなるであろう。

 

 もちろん、アラブ諸国で民衆の間の反米感情はますます激化してゆく。しかし、ブッシュ政権の思惑通りに事がすすんで、イラク民衆の経済生活が目にみえて改善されていく場合には、とりあえず反米よりもメシ、となるだろう。

 

 敗戦直後の日本人の一半にとっては、スターリンや毛沢東が反米感情の代償を与えてくれた。もっとも、冷戦のはじまるまでの数年間は、戦後版・日本共産党がGHQお手製でつくりだされ、日共は米軍を解放軍規定していたから、共産主義が反米感情のはけ口となっていたのではなかった。したがって、すべての怨嗟は「戦前的なるもの」に向けられていた。それが冷戦、レッドパージ、朝鮮戦争とともに、日共はソ連、中国を母国とする反米愛国へと急転換した。このわずか数年間におけるあまりの右往左往の急転換ぶりが、「戦後のねじれ」を重度の複雑骨折とさせてしまったのである。

こうして、大空襲や原爆投下にもとづく日本人の反米感情は、奇妙な回路に流し込まれることになった。ソ連や中国や北朝鮮のことは美化して、反米が反帝であり反戦・平和でもあるという欺瞞的な図式が、昭和三十年前後に固定化してしまったのであった。

 

 しかし、いまではレーニン=スターリンや毛沢東が有効な思想でなくなって久しい。そのため、イスラム原理主義過激派しかいまの世界には対抗思想がなくなっている。あのように偏狭で無差別的に人殺しをやってのける狂信的宗教に、広汎な反米感情を束ねるだけの思想的な吸引力をもちうるのかは、本当のところは疑問がある。十億のイスラム民衆も本格的にはついていけないに違いないと思う。

 

 だが、中東和平にとっての難問は、いうまでもなくアメリカがイスラエル、パレスチナの問題にどう関わってゆけるのかにこそある。イスラエル問題にアメリカがいままでどおり不公平な態度しかとり続けることができないならば、たとえ経済生活が安定してもアラブ民衆の反米感情の矛はおさまりようがないにちがいない。たとえ、米国流の政治のデモクラシーと経済のリベラリズムがどれだけ喧伝されようとも、いかがわしさの念は誰にとっても払拭することはできない。(2003/4/13

 

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